Camphor二世

私たちの独り言集。 言葉のソラへ、ようこそ。

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陸を駆け、
海を泳ぎ、
空を飛ぶ。

これを 一つずつずらして、

陸を飛び、
海を駆け、
空を泳ぐ。

とか、

陸を泳ぎ、
海を飛び、
空を駆ける。

とか。空の場合は普通「翔る」を当てるけど。

個人的には、

海を飛び、空を泳ぐ、というのが好き。
こういう、コロケーションのミスから生まれる詩的表現は、
結構面白い。
間違った日本語だ、などと捨ててしまう前に
いろいろ試してみるのが本当のユトリだと思ったり思わなかったり。 このページのトップへ
ということでほぼ一ヶ月ぶりであります。
そろそろここの存在意義がわからなくなってきた今日この頃。

そもそもこんなぼやきなんか記録してどうするっていうんだろう。
みくしの方の日記ともかぶっちゃってるから、

テーマ性を決めないと書けるものもかけない。
困りました。

ということで、
もしここ蒼月さんが見つけてくれたら、
どういうテーマにするか今度アドバイスください。

んでは。 このページのトップへ
蝿が一匹迷い込んできた。

放っておけばこの部屋をさまよったあげく、
何事もなかったようにホコリの一部になるだろうそれは、
暗闇で見つけた光に向かって飛んでいた。

部屋の電気をつけずにスタンドのあかりだけで本を読んでいた私は、一匹の蝿が目の前を飛ぶのに気がついた。おや、これは、と思って部屋の明かりをつけ、スタンドのあかりを消す。部屋が明るくなる。

蝿は目指していた光を失った。自分の後ろが光そのものになった。蝿は驚いたかもしれない。

目の前の蝿はどこかへ行った。しかしそのままでは不憫だろう、と思って、窓の外へだしてやろうと思った。ほんの気まぐれだ。立ち上がって、窓の前へ行く。

蝿は空気の流れを感じた。夜気が部屋に入り込んできている。蝿はそれに向かって飛び始めた。

私は窓を開けた。目の前には網戸がある。

蝿は冷たい空気へ向かった。

私は振り向いた。

蝿は顔を捉えた。

私は蝿を払った。

蝿は大きな空気の流れに翻弄されて前がわからなくなった。それでも夜気を捉えて羽ばたいた。

私の目は蝿を追った。

蝿は網戸にあたった。

私は網戸を開けようと手をかけた。

蝿は網戸の振動に反応して再び羽ばたいた。

私は目の前に再び蝿を捉えた。

蝿は目の前に再び顔を捉えてしまった。

私は再び蝿を払った。

蝿はそれきり動かなくなった。 このページのトップへ
えー。もう5月の半ばを過ぎているのですね。
下の長い文章を見るとついこの前の自分の心境等わかるわけですが、
やあ、大分まいってますねー。はっはっは。

こうして日記のごとく書き上げるのが億劫になったので、
数日あけておりました。
MIXIの方なんかさらにほったらかしです。はてさて。

まぁ、大学講義もかったるいくらいだから、
いちいちミニレポートみたいに書き上げる日記かてかったるい。

でもどうやらここ見る人もいてくれるみたいなので、
書いてしまいます。

こう、受験終わった後の急失速のためのダラダラ期間はそろそろおわりそうですかね。なんかボーっと授業聞いててもぼーっとさぼってみても、なんかしっくりこないので、何がしたいか、何をするか、ちょっと整理して再出発します。するつもりです。

てーか、ここでできないとさらにダメになっていくことを嫌というほど経験から学んでる気がする。

仮にも国立、税金で学ばせてもらってる身、
明日の人々のお役に立てるようせいぜい勉強でも致しますか。

本が読みたい。沢山。
そのために邪魔なのは大学の単位と眠気であります。うがー。

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「どうやって作るの」
と聞かれて、
確かにどうやって作っているのか気になったので、
少し考えてみたのだが、これが意外とわからない。

曲というのは、
小説で言うストーリーと叙述の関係のように、
和声進行と旋律に分けることができる。

だから和声、つまりストーリーが決まってしまえば、
あとは叙述する、つまり旋律、メロディを書くだけ。

かと思うと、
別に和声が先にできているわけでもない。
果たしてどうやって作っているのか、
他ならぬ僕自身が把握していないことにまざまざと気づかされたのだ。


僕の場合、何かテーマを持って書くということはあまりない。
むしろ、あるお気に入りのフレーズが、「降ってくる。」
しかしそれはとても短いし、それだけでは曲にならない。
でも、曲にしたら、それはとても綺麗だろうという確信がある。

そういう時、
その思い浮かんだフレーズに、いろいろとおべべを着せてやるのだ。
すると曲ができる。

実際には、この洋服付けの部分がセンスなのだ。
そもそも綺麗だろう、というフレーズはそれこそありふれた何か。
そのまま使っても面白くもなんともないものである。
しかし、綺麗であることに変わりはなく、
その綺麗をいかに引き立てるか、それが腕の見せ所だったりする。

そこでどうやって服を着せるか。
服の材料、生地、縫い方、色の合わせ方、
そういう基本的なことはもはや手癖のように頭に入っている。
だから、毎度毎度大きく試行錯誤するわけではないが、
それでも作り方は幾億も存在するだろう。

それらを実は、一つ一つ当てはめていくのだ。
何気なく。料理をしながら、授業を聞きながらでいい。
布をあて、縫製してみるのだ。

何も鍵盤に向かう必要はない。
自分がこれまで作ってきた服を基礎にしながら、
その形を少しずつ変えてみたり、
あるいはまったく同じにしてみたりする。

腕のリボンをフリルに変えるくらいのものである。
そうしてさまざまな服を着せ替えていくと、
あるところでぴたりとくる何かが見つかるのだ。

そうしたら、しめたものだが、
このぴたりを発見するのに数ヶ月、あるいは数年かかることもある。
要は綺麗なべべ作りであるから、
綺麗な形にすればよい。
それが見つかるまで、試していくだけのこと。
運がよければ早くあたるし、
悪ければいつまで経ってもあたらないのだ。

そうして見つけたぴたりというあたりの、
一つ一つを組み合わせていく。

ドレスに合わせるカバンや靴を探すのだ。

そのぴたりが出るまでにまたいろいろと試していく。
全体のバランスが取れていると思うところまでしつこく繰り返す。

そうして出来上がるのが、曲だ。
確かにこうして書いている。

もちろん楽式にのっとるべく調整することもありはするが・・・。


イメージとしては文章と同じなのだ。
文を書くときに、どうやって書いているかと聞かれても困る。

あるテーマや、あるいはある一文を伝えるために、
全体を整えていくというのは、
自然にできるところだ。
だがそれが自然にできるためには、
日本語を知らねばならないし、
その基本的表現は押さえておかなくてはならない。

逆に言えば、
音の基本的表現がわかっていれば
文を書くように作れるのだろう。
それが芸術として昇華するのはまた別の次元の話として、
音楽はそうして作れるはずだ。

簡単な例を挙げれば、
一番言いたいフレーズがあったとして、
いきなりそれではインパクトに欠けるから、
序盤は静かに始めて、
クライマックスで大音量と共にそのフレーズを持ってくる、
その程度のことだと思う。

もったいつけたり、
あるいはいきなり出して驚かせたり、
そういう駆け引きを楽しんでいるとも言えるかもしれない。 このページのトップへ

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